生産計画は8割で立てていた|計画どおりに進まない製造現場で管理職がやっていたこと

製造業マネジメントの現場から

生産計画どおりに進んだ月が、25年間で一度もなかった。

計画を立てる。材料を発注する。シフトを組む。それでも月の途中で必ず何かが起きる。急に受注が増える。逆に減る。設備が止まる。品質トラブルで作り直しになる。材料が入ってこない。人が足りない。

計画が崩れること自体は、もう前提だった。問題は、崩れてから立て直すまでにどれだけ時間がかかるかのほうだった。

製造業の管理職として現場を回していた25年で、私が生産計画に対して持っていた考え方を書いておきたい。

生産計画を壊すものは、だいたい決まっている

振り返ると、計画が崩れる原因はいつも同じ顔ぶれだった。急な受注の増減、設備トラブル、品質トラブル、材料の入荷待ち、そして欠員や人員不足。この5つでほとんど説明がつく。

厄介なのは、これらが単独では来ないことだった。設備が止まっている日に限って急ぎの注文が入る。人が足りない週に材料が遅れる。ひとつなら現場の頑張りで吸収できるものが、二つ重なった瞬間に計画そのものが成立しなくなる。

だから私は、原因をつぶすことよりも、起きたあとの動き方を決めておくことにこだわっていた。5つとも、完全にゼロにはできない性質のものだからだ。

計画にまつわる工程を、全部自分で持っていた

営業から希望納期を確認する。それをもとに生産計画を組む。材料を発注する。生産シフトを組む。日々の調整と進捗確認をする。この一連を、私が主体でやっていた。

分担したほうが楽なのは分かっていた。ただ、工程を切り分けると必ずどこかで伝言ゲームになる。営業が聞いた納期のニュアンスが、計画を組む人間に届くころには「いつまで」という日付だけになっている。その日付が本当はどれくらい動かせるのかは、聞いた本人しか知らない。

全部を一人で持っていると、崩れたときの判断が速い。ただし裏を返せば、これは計画業務そのものを属人化させているということでもある。現場作業の属人化はマニュアル化を業務に組み込んで崩したが、計画のほうは最後まで自分から手放せなかった。そこは反省点として残っている。どこを削ればどこにしわ寄せが行くかが、資料を見なくても分かる。課長時代の1日を時間の使い方で振り返った記事でも書いたが、管理職の時間の大半は、この調整に消えていた。

崩れたときに、最初にやっていたこと

トラブルが起きたとき、現場だけで何とかしようとしないことを自分に課していた。

まず上司と営業を招集する。そのときに必ず、再編成案を持って行く。「こうなりました、どうしましょう」では会議が長くなるだけで、その間も現場は止まったままになる。「この順番に入れ替えれば、A社の納期は守れます。B社は3日遅れます。営業から先に一報を入れてもらえますか」——ここまで用意して席に着く。

案があれば、話し合うべきことは一つに絞られる。それでいいか、別の優先順位にするか。決まれば、承認が必要な処理をその場で通してしまう。残業や休日出勤の申請、材料の緊急手配、外注への振り替え。後日決裁に回すと、それだけで半日から一日を失う。

狙っていたのは、現場に新しい計画を渡すまでのレスポンスを速くすることだった。上に案を通す考え方については、増員と設備投資の提案が通るかどうかを分けたものにも書いている。

マスタープランは、8割で立てる

これが、私が長くやってきた中で一番効いた考え方だと思っている。

生産計画のマスタープランは、能力の10割では組まない。基本的に8割で立てる。

10割で組んだ計画は、一度崩れたらもう戻す場所がない。どこを動かしても誰かの納期が飛ぶ。結果として、毎月のように残業と休日出勤で埋めることになる。8割で組んでおけば、残りの2割が緩衝材になる。設備が一日止まっても、材料が二日遅れても、計画の中で吸収できる。

余力を隠しているわけではない。不測の事態は必ず起きるという前提に、計画のほうを合わせているだけだ。実際、8割で組んで納期を守り続けた年と、10割で組んで毎月バタついた年とでは、年間で見たときの生産量はそれほど変わらなかった。違ったのは、現場が保ったかどうかだった。

上から見れば、能力を余らせているように見えるかもしれない。そこは、納期遵守率という結果で説明するしかなかった。

関係部署に、情報を切らさない

計画が動いたとき、真っ先に困るのは営業と購買だった。

だから、聞かれてから答えるのではなく、こちらから頻繁に投げるようにしていた。今どこまで進んでいるか、どこが怪しいか、この先どう転びそうか。確定していない段階の情報でも、怪しいという事実は伝えておく。

これをやっていると、営業の側も早めに顧客と交渉を始めてくれる。購買も先に手配をかけてくれる。情報を出すのを渋って、確定してから一斉に連絡すると、全員が同時に慌てることになる。他部署との間に立つ難しさは、開発部門と製造現場の板挟みになったときの話にも通じるところがある。

メンバーには、手の内を明かす

急な残業を頼む。休日出勤をお願いする。シフトを変えてもらう。製造現場の管理職をやっていれば、避けて通れない場面だ。

そのとき私は、理由をなるべくそのまま話すようにしていた。どこの注文が動いたのか、なぜ今日でないといけないのか、この先どれくらい続きそうなのか。都合の悪いことも含めて、手の内を明かす。

なぜ今日なのかが分かっていれば、人は動いてくれる。分かっていないと、同じお願いでも不満だけが残る。そして次に頼むときの空気が変わってしまう。

説明する手間は毎回かかった。それでも、協力体制がある現場とない現場では、トラブルが起きたときの復旧の速さがまったく違った。

この経験は、転職市場でどう見られたか

40代で転職活動をしたとき、面接で意外なほど掘り下げられたのが、この調整まわりの話だった。

不良率を8%改善したという数字よりも、「計画が崩れたとき、誰をどう動かしていたか」を具体的に聞かれる場面が何度もあった。数字は結果で、そこに至る運用のほうが、その人が来て何をしてくれるかを想像しやすいのだと思う。

どの実績が刺さってどれが刺さらなかったかは、製造業管理職として転職市場で評価されたものとされなかったものの記事にまとめている。

計画どおりにいかないことを、失敗だと思わなくなってから

若いころは、計画が崩れるたびに自分の読みが甘かったと落ち込んでいた。

ある時期から、崩れることを織り込んだ計画を立てるようになった。8割で組むのも、情報を先に流すのも、手の内を明かすのも、全部そのためのやり方だった。

計画どおりに進まないのが製造現場の平常だ。そう腹をくくってから、かえって納期は守れるようになった。


現場の段取りという意味で近い話として5S活動が形だけになる現場と、そうでない現場の違い|製造業の管理職がやっていたことにまとめています。


こうした現場の運用を、職務経歴書にどう書けば伝わるのか。製造業の実績を言語化するための型をまとめました。

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