監査が近づくと、現場の空気が少し重くなる。
記録を遡って揃える。抜けているところを埋める。手順書と実態が合っているか確認する。そういう作業が数週間前から始まって、監査が終わると元に戻る。この時期だけ忙しくなるという感覚を持っている人は、製造業なら少なくないと思う。
私は前職の製造業で25年働き、課長として部門を見ていた。ISO9001と14001の複合審査を、内部監査・外部監査ともに受けてきた。そして自分自身が内部監査員として、他部署を監査する側にも立っていた。
両方の立場をやって分かったことを書いておきたい。結論から言うと、ISOは仕組みでしかない。使い方次第で、現場にとってプラスにもなるし、煩わしいだけの作業にもなる。
受けた指摘は、書類の不備ではなかった
監査というと、記録の抜けや書式の誤りを指摘されるイメージがあるかもしれない。実際にはそういう軽微なものもある。ただ、本当に効いた指摘は、そこではなかった。
印象に残っているのは、2つある。
ひとつは、現場の工程異常に対するPDCAが不十分だという指摘だ。
異常が起きたときの記録は、きちんと残っていた。いつ、どの工程で、何が起きたか。書式も埋まっている。それでも指摘された。
理由は明確だった。記録はあるが、そこから先が繋がっていない。なぜ起きたのかの分析があり、何を変えたのかの処置があり、その後どうなったのかの確認がある——この一連が一本の線になっていなかった。記録が「報告して終わり」の書類になっていた。
これは耳の痛い指摘だった。不良や異常への対応そのものは、不良率を8%改善したときの取り組みのようにやってきたつもりだったが、やったことと、記録として残したことが一致していなかった。頭の中では回っていても、書類の上では回っていない。監査は、そこを見にくる。
「目標の数値を、現実的なものにしたほうがいい」
もうひとつの指摘は、正直なところ意外だった。
目標に掲げている数値を、もっと現実的なものにしたほうがいいという指摘だ。
監査で言われることといえば「目標が甘い」「もっと高く掲げるべきだ」の類だと思い込んでいた。言われたのは逆だった。
ただ、言われてみれば筋が通っている。高すぎる目標は、達成されない。達成されないと、期末に未達の理由を書く作業だけが残る。それが何年か続くと、誰もその数字を本気で追わなくなる。数字が、掲げるためだけのものになる。
目標は、掲げるためのものではなく、回すためのものだ。届きそうで届かない位置に置くから、そこへ行くための手段を考える。最初から無理だと分かっている数字は、思考を止めてしまう。
これは品質でも環境でも同じで、達成できる水準に置き直してから、実際にPDCAが回るようになった。数字を下げたのに、結果はむしろ良くなった。
監査する側に立つと、見えるものが変わる
内部監査員として他部署を見る側もやった。ここで気づいたことがある。
何を聞くかによって、相手が何を準備するかが決まる。
記録が揃っているかどうかだけを確認していくと、被監査側は「記録を揃える作業」をするようになる。監査の前に書類を整える、あの動きだ。監査員が書類しか見ないなら、それは合理的な対応でしかない。
だから私は、記録を確認したうえで、「これはどういう経緯で決まったのか」「この処置をして、その後どうなったか」を現場の人に直接聞くようにしていた。書類ではなく、書類の裏側を聞く。
そうすると、答えられる部署と答えられない部署がはっきり分かれる。答えられない部署は、記録は完璧でも中身が動いていない。逆に、書式が多少荒くても、聞けばすらすら説明できる部署は、実際に回っている。
もうひとつ難しいのは、あら探しに見えないようにすることだった。監査員が粗を探す人だと思われた瞬間に、現場は隠すようになる。隠されたら、監査の意味がなくなる。聞き方ひとつで、出てくる情報の量がまったく変わった。人にどう向き合うかという点では、部下育成で意識し続けたことと通じるところがある。
認証のためだけの活動になると、煩わしいだけになる
ここが、この記事で一番書いておきたいところだ。
ISOは仕組みであって、目的ではない。うまく活用すれば、品質にも環境にも確実にプラスになる。異常が起きたときに何をするか、誰が判断するか、記録をどう残すかが決まっているというのは、実務として単純に有利だ。人が入れ替わっても手順が残る。
一方で、認証を受けるためだけの活動になった瞬間に、煩わしいだけの活動になる。監査のために書類を整え、監査が終われば元に戻る。現場にとっては純粋な負担でしかない。
この分かれ目はどこにあるのか。私が思うのは、その作業を「監査のためにやっているか」「現場のためにやっているか」の一点だ。
監査のためにやっている作業は、監査が終われば終わる。現場のためにやっている作業は、監査がなくても続く。そして続いているものだけが、実際に品質や環境を良くする。
これは5S活動とまったく同じ構造だった。5S活動が形だけになる現場とそうでない現場の違いに書いたが、報告のための活動になった瞬間に中身が消える。ISOも5Sも、仕組みそのものに罪はない。運用する側が何のためにやっているかで決まる。
手順が残る仕組みは、人が変わっても効く
ISOを前向きに捉えられるようになったのは、属人化の問題に取り組んでからだった。
特定の人の頭の中にしか手順がない状態は、その人がいない日に必ず止まる。属人化をマニュアル化で崩していった話や予防保全体制をゼロから作った話でやってきたことは、実のところISOが求めていることと方向が同じだった。
記録を残す、手順を決める、やったことを確認する。ISOの言葉で書かれると身構えるが、中身は現場を回すために必要なことでしかない。順番が逆なのだと思う。ISOのために記録するのではなく、現場のために記録した結果が、たまたまISOの要求を満たしている——その状態がいちばん強い。
この経験は、転職市場でどう見られたか
40代で転職活動をしたとき、ISOの経験そのものを深く聞かれる場面は、正直あまり多くなかった。
ただ、仕組みを作って運用した経験としては、確実に伝わった。「記録が残る状態をどう作ったか」「形骸化しないようにどうしたか」——この文脈で話すと、業界が違う面接官にも通じる。資格や規格名そのものより、そこで何をしたかのほうが聞かれる。
どの実績が刺さってどれが刺さらなかったかは、製造業管理職として転職市場で評価されたものとされなかったものの記事にまとめている。
- 5S活動が形だけになる現場と、そうでない現場の違い|製造業の管理職がやっていたこと
- 製造現場で不良率を8%改善した話|管理職が実際にやったこと・やらなかったこと
- 製造業マネジメントの現場から|全記事まとめ
外注先監査をどう考えていたかは製造業の外注先・協力会社との付き合い方|担当者が変わると回らない、業者が廃業していく現実にまとめています。
仕組みを作って運用した経験は、そのままでは書類に書けません。製造業の実績を言語化するための型をまとめました。
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