評価を「つけられる側」から「つける側」になった日のことは、あまり覚えていない。
課長になって、部下の評価をつける立場になった。派遣社員と管理職クラスを除いて、対象は25人前後。半期に一度、評価シートを開き、一人ずつつけていく。
最初は正直、身構えた。25人分の人生に、こちらの主観がそのまま関わることになる。慎重にやらないと、と思っていた。
何年か続けて分かったのは、評価する側にいても、思っていたようには評価できないということだった。制度、上との調整、周囲との比較。自分の判断だけでは動かないものが多すぎた。
この記事では、25人前後の評価をつける側にいて実際に何が起きていたのかを書いておきたい。「頑張ったのに評価されなかった」と感じている人にも、これから評価する側になる人にも、少しは役に立つと思う。
課長は絶対評価、それでも差はつけにくかった
うちの会社では、課長がつけるのは絶対評価だった。5段階なら、全員に5をつけることも制度上は可能だ。相対評価で「Aは何人まで」と枠が決まっているわけではない。
それでも、実際には差がつけにくかった。
理由はいくつかある。まず、人事考課制度の中身がそもそも極端な差をつけにくい設計になっていた。項目ごとの点数配分、評価基準の書き方。一つひとつを丁寧に見ていくと、5と3の間に大きな差をつけるだけの根拠を書きにくい。制度に沿ってつけていくと、自然と真ん中に寄る。
もう一つは、部長以上の段階で相対評価的な調整が入ることだった。課長がつけた絶対評価は、部門内で並べられて調整される。「うちの課長は甘い」「あの課だけ突出している」といった話にならないよう、上でならされる。
だから私が5をつけても、最終的な評価では4になることがあった。逆もあった。課長がつけた評価が、そのまま結果になるとは限らない。これを知ってから、評価のつけ方への向き合い方が少し変わった。
一番難しかったのは、頑張っている人とそうでない人の差をつけること
25人を並べたときに、明確に成果を出している人と、そうでない人がいる。ここは差をつけるべきだと思う。実際、そうつけた。
難しかったのは、その中間の層だった。
頑張っているのに結果が出ていない人。逆に、結果は出ているが、それは環境やタイミングによるところが大きい人。この二人にどう差をつけるか。制度上、頑張りだけでは評価できない。結果を見ろと書いてある。ただ、頑張っている姿を毎日見ているのは、他ならぬ課長本人だ。
私が最後に置いた基準は、「来期以降、この人の頑張りが結果に結びつく可能性はあるか」だった。今期の結果だけで切ると、途中で伸びる人を潰す。かといって頑張りだけで評価すると、結果を出している人が納得しない。この間を毎回、一人ずつ考えていた。答えは、今も正解だったとは思っていない。
面談で伝えていたのは、評価結果そのものではなかった
評価が出たあとには、必ず面談があった。一人ひとりに、結果を伝える。
私が話すようにしていたのは、点数そのものより、良かったところ、伸ばしてほしい能力、改善してほしい点の3つだった。点数だけを伝えると、その数字が納得できるかできないかの話になる。話がそこで止まってしまう。
それでも、納得されないことはあった。
「他の人と比べて違うところに納得できない」「頑張っているのに評価されていない」——この2つは、毎回のように出た。私が丁寧に説明しても、消えない不満だった。
いま振り返って思うのは、この不満は、私に対して出されているようで、実は制度に対して出されているものだったということだ。頑張りを反映する項目が薄い制度で頑張りを反映してほしいと言われても、私にできることは限られていた。ただ、面談の場ではそう言うわけにもいかない。制度のせいだと言えば、責任逃れになる。
私にできたのは、聞くことだけだった。反論せず、まず聞く。そのうえで、次の半期でどこを見せてほしいかを一緒に決める。納得はしてもらえなくても、話は前に進む。人にどう向き合うかという点は、部下育成で意識し続けたことにも近い話になる。
評価する側になって、自分が評価される側だったときの見方が変わった
この経験は、自分が評価される側だったときの見方を確実に変えた。
それまでは、頑張れば正当に評価されると思っていた。もっと言えば、正当に評価されるべきだと思っていた。上司が見ていないのなら、それは上司の問題だとも思っていた。
つける側に立って分かったのは、そう単純ではないということだった。
上司がどこを見ているかによって、評価は本当に変わる。同じ人が同じ仕事をしていても、見ている視点が違えば結果が違う。制度と現場の間で調整が入る。頑張っている姿は必ず伝わるとは限らない。頑張っても、必ず良い評価、自分が納得できる結果が反映されるとは限らない。
これは冷たい話に聞こえるかもしれない。ただ、この現実を知っていたほうが、評価される側としても身の振り方を考えやすくなると思う。
たとえば、上司が何を見ているかを早めに掴む。見えないところで動いているだけでなく、要所で見せる。制度上、点数が上がりやすい項目に意識的に力を入れる。理不尽に聞こえるかもしれないが、これらは全部、評価する側から見れば「やってくれるとありがたいこと」でもある。
評価に納得できないことは、転職を考える理由になり得る
最後にひとつだけ、書いておきたい。
評価に納得できないことが続くと、多くの人は「この会社にいる意味があるのか」と考え始める。特に40代になると、この問いは重くなる。あと何年、この評価制度で働くのかという計算が入るからだ。
私自身は、評価そのものが直接の転職理由ではなかった。ただ、評価を通じて見えてくる「この会社での自分の位置」は、確実に判断材料の一部だった。役職が下がる転職を選んだ経緯は、40代で課長から主任になる転職を選んだ理由に書いた。
評価する側になって分かったのは、制度の中で最大限公平にやろうとしても、それでも100%は反映できないということだった。だから評価に納得できないという感覚は、多くの場合、本人の頑張りが足りないわけではない。制度の限界と、上司の視点と、周囲との比較の間で、必ず生まれるものだ。
そのうえで、それをどう受け止めて次にどう動くかは、評価される側にしか決められない。
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評価に納得できないという感覚が続いたとき、それをどう整理して次に進むか。私が2年弱かけて決断にたどり着くまでの思考の道筋をまとめました。
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