正直なことを言うと、当時は「割に合わない」と思っていた。
30歳。入社10年目。2つ目に配属された製造部署で、私はいきなり山積みの課題と向き合うことになった。設備は古く、作業はばらついていて、現場を支えるメンバーの大半は短勤続者かアルバイト、他部署からの応援社員だった。3交代でラインは動き続けているのに、教育できる人間も、管理できる人間も、圧倒的に足りていなかった。
上司に相談しても、実質的な支援はなかった。「やっておいて」という言葉だけが降ってきた。給料も、立場も、その仕事の難易度には到底見合っていなかった。
それでも、やるしかなかった。
問題は3層に重なっていた
現場に入って最初にやったのは、収率が上がらない原因を整理することだった。感覚ではなく、データを見ながら構造を分解していくと、問題は3つの層に重なって存在していることが分かった。
製造条件の問題。 現場で使われていた製造条件が、実態と合っていなかった。かつて誰かが設定したまま、誰も見直していなかった。条件通りに動かしても、現在の設備や原材料の状態に対応していないから、ロスが出る。
設備の問題。 不具合箇所が多く、メンテナンスが体系化されていなかった。何が壊れているのか、何を直せばどう改善するのかの全体像を、まず自分で一から洗い出す必要があった。
人の問題。 知識が属人化していて、作業にばらつきがあった。経験の浅いメンバーが多い中で、誰でも同じ品質で動けるような仕組みが存在していなかった。
この3つを同時に動かさないと、収率は改善しない。それが分かった時点で、作業量の多さに少し頭が痛くなったことを覚えている。
泥臭く、一つずつ手をつけた
まず設備から手をつけた。
不具合箇所を自分の足で全部洗い出し、メンテナンスのリストを作った。優先順位をつけて、計画表を作り、順番に対処していった。老朽化して更新が必要な箇所は、上に稟議を上げた。数字で根拠を示せば、設備投資は通った。
その前提として、データを集めるところから始めなければならなかった。
現場には手書きの記録が積み上がっていた。そこから必要な数字を一つひとつ拾い出し、慣れないExcelに転記していく。必要なデータがそもそも記録されていないケースも多く、「このデータが必要だ」「どこに、いつ、誰が記録するか」という仕組みを一から設計することも仕事のうちだった。
当時はAIもなく、ネットで調べれば答えが出てくる時代でもなかった。Excelの操作方法が分からなくなると、分厚いマニュアル本をめくって確認し、また作業に戻る。その繰り返しだった。地味で、時間がかかって、派手さのかけらもない作業が、改善の土台を作っていた。
次に製造条件を実態に合わせて見直した。
データを取り、分析し、条件を修正する。そのサイクルを繰り返した。原材料のロスがどこで発生しているかも細かく追いかけた。削れる無駄を一つずつ潰していくような、地味な作業が続いた。
そして人の問題に向き合った。
作業を標準化して、マニュアルを整備した。経験の浅いメンバーに対しては、丁寧に教えることを続けた。ただ、一番難しかったのはそこではなかった。
難しかったのは、自分より年上のメンバーを動かすことだった。
年上を動かす、という壁
20代後半から30歳にかけて、私はずっとこの問題と格闘していた。
現場には自分より年齢も経験もある人間がいた。新しいやり方を伝えようとすると、「今まではこうやってきた」という空気が漂う。直接反発されるわけではないが、動いてもらえない。
強く出ても逆効果だということは、早い段階で学んだ。
だから私がやったのは、まず自分がデータで「なぜ変える必要があるか」を説明することだった。感情や立場ではなく、数字と事実で話す。そして変えた後に結果が出たら、それを一緒に確認する。成果を「自分たちで出した」という感覚を持ってもらうことが、動いてもらうための一番の近道だった。
若いメンバーへの教育も、答えを与えるより「なぜそうするか」を一緒に考える形に変えていった。手間はかかったが、理解して動いてくれる人間は、次に似たような場面でも自分で判断できるようになっていった。
1〜2年後、収率が15%改善した
地道な積み重ねの結果として、収率は15%改善した。数字だけ見ると鮮やかに聞こえるかもしれないが、実態は泥臭い日々の積み上げだった。
設備を直して、条件を見直して、人を動かして、データを取り続けた。それを繰り返した結果が、数字になって現れた。
その年、全社表彰で社長賞をいただいた。
ただ、これは自分一人でたどり着いた結果ではなかった。
面倒な作業を引き受けてくれた現場のメンバー、データ取りに協力してくれた関係部署の人たち、設備の対応に動いてくれた保全の担当者。誰一人欠けても、この数字は出なかった。「割に合わない」と感じながら踏ん張れたのも、そういう人たちが黙って力を貸してくれていたからだと、表彰を受けて改めて思った。
義理を感じた。だからその後、関係部署や現場のメンバーが困っていると聞けば、自分の仕事の範囲を少し超えてでも動くようになった。助けてもらった分を、次は自分が返す番だという感覚が、自然と身についていった。
表彰式の場で名前を呼ばれたとき、「割に合わない」と思いながらやり続けた日々のことを思い出した。誰も助けてくれなかった分、自分でやり切ったという実感は、誰にも渡せない自分だけのものになっていた。
この経験は、転職面接で一番深く聞かれた話になった
何年も後に、私は転職活動をすることになる。
面接で必ずと言っていいほど聞かれたのは、数字の話ではなかった。「どんな課題があって、どのように取り組んで、周囲をどう巻き込んだか」という、プロセスの話だった。
この30歳の頃の経験と、後に課長として取り組んだ不良率8%の改善経験を合わせて話すことで、「結果だけでなく、そこに至るまでの思考と行動が見える」と言われた。管理職として現場を動かした実績は、数字よりも、その背景にある泥臭さの方が、面接官に届いた。
成果は数字で語れる。でも人は、プロセスで信頼される。
転職活動を経て、そのことを改めて実感した。
この収率改善から数年後、課長として着任した現場でも同じような改善プロジェクトに取り組むことになる。
▼ 課長時代の不良率8%改善の話はこちら

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